2013年4月9日火曜日

語りかけてくるもの

人の営みは何故、繁栄と衰退を繰り返すのか?

マヤの暦を読み解きながら、感じる疑問。

これ程の正確な暦と叡智を授かりながらにして尚、文明は塵となり、土と化した。
その叡智や信仰を伝える者は極僅かである。

マヤの暦は実に見事に時の流れを捉えていたと思う。
長い長い年月をかけ、周期は幾ばくの含みを持ち、全て均一ではなく、それらが『ずれ』となる事を知り、それさえも新たな暦を生むきっかけとなり、多くの暦を残した。

この地上に降り注ぐ力を読み解き、健やかな時を過ごす為に編成された暦を元に、人々は豊かな暮らしを送ったに違いない。

だが、いつの日か、その営みは与えられたのではなく自ずから創り出したという錯覚にかられたのではなかろうか?

その変移は遺跡を読み解いている人々からの言葉で窺い知る事が出来る。

古に偉大なる発見をした民は、この世に数多ある出来事全てを知り尽くたかのように振る舞い、己の意を神の意と重ね合わせてしまったのではなかろうか?

それはきっと大いなる思い違いであったのだろう。

どんなに賢くても、この広い宇宙の営みを説明つける事は到底難しい事であろうし、塵の一粒すら何もない所から創り出せる者はいないに等しく、この世に生けるモノはこの世を創り上げた力に比べれば無力であると思う。

何もかもが与えられている事。

その事を受け入れられなくなった時、支配していると思っていた者の思惑が外れていったのではないのか?

衰退が良くない事であるとは言い切れない。

ただ、その流れを作ってしまったのは驕りであったとしたら、悲しい。

驕りは史上には残らないであろう。

しかし、長い過去の出来事を多く知るようになった今、私達の生活を振り返る事に役立てる事も大切なのではないか?と思うのである。

文字や遺跡は私達にそう語りかけているのではないだろうか?

LoveLove&Peace