2011年4月24日日曜日

休業のお知らせとお願い

前回の日記で少し触れましたが、今月末28日に、大船渡へ再び向かう事となりました。
今度の旅も少し長めデス。

炊き出しのボランティアのお手伝いをさせて頂きます。

その為、占い業はしばらくお休みします。

期間は決まっていません。

黄色い戦士が好きな言葉は「命懸け」。

骨を埋める覚悟ではあります。

と言っても、いつかは帰って来るとは思います。が、放射能の問題が深刻になったら、その時は鎖国します。

そして、三陸の豊かな自然の中で夢の楽園を作って暮らします。

スカイプなどの診断も、被災地の電力や寝泊まりする公民館の公共性を考えて、同じく休業させていただく事に致しました。

誠に勝手ではありますが、何卒ご理解ください。

マヤ暦については、時間の合間を見つけて今後もブログなどで発信していきたいと思います。

電波状況等で更新が遅れる事も考えられます。ご了承ください。

先にも述べたように、被災地は圧倒的にお金も人も足りません。

継続的なご支援をどうかお願い致します。

マヤの世界へお越しくださり有り難うございました。

これからもみなさんに素敵な出会いと出来事が沢山訪れます事をお祈りいたします。

また、会う日まで。

LoveLove&Peace

2011年4月23日土曜日

夢 ~震災地で見た事、感じた事~

みなさんは夢をお持ちでしょうか?

それはどんな夢デスか?


先日、宮城県、岩手県三陸沿岸へ行って参りました。

仙台と大船渡、陸前高田へ。

そこでは何が起きたか、みなさんは既にご存じでしょう。

私も、報道等で前もって状況は把握しいたつもりでした。

二風谷のレラさんの依頼で、二風谷に集まった物資を届ける為、苫小牧から青森へ。
八戸の港が津波の被害によって寄港出来ない為、青森への上陸でした。

その後、一旦盛岡へ行き、市内でアイヌ雑貨店を営んでいるまーぼーさんとふっちゃんのお宅へ赴きました。
翌日、お二人のご友人の仙台の幼稚園へ物資を届けに。

仙台郊外は古いお家が倒壊。
2日前の大きな余震によって停電などが起き、訪れた場所の方は大きな不安を隠しきれない様子でした。

食事を振舞ってくれたのデスが、買い物を行くにもなかなか品物が手に入らず、食器も地震によって随分紛失してしまい、

「こんな物しか用意出来ないけど。。。」

とおっしゃりながらも美味しいシチューをご馳走してくれました。

帰り際、私達を見送ってくれた際、

「やっぱり、人に会わなくちゃダメね。元気出た。私も明日から会いに行くわ!」

と言った言葉が印象的でした。

その翌日は、まーぼーさんとふっちゃんが支援している大船渡へ。

遠野物語が舞台となった美しい山間を通り沿岸へ向かったのデスが、盛岡も、遠野一帯も、あの大きな地震が本当に起きたのかと疑う位に大きな被害は見当たらず、乗せてもらった運転手の憲ちゃんと共に、半ば穏やかに現地へ向かいました。

大船渡で私達を迎えてくれたのは、個人の有志で集まった『さんさん会』の亀ちゃん。

大きなハグで、私達を迎え入れてくれました。

わずかながらの物資を手渡し、リーダーの山崎さんにお話を伺いました。

彼らは完全に無償で活動しており、個人の団体であるが為に、炊き出しのボランティアも市は黙認という形を取って、ゲリラ的に活動しているのでした。

本当はちゃんとした委託でなければ利用出来ない施設なのデスが、法令が邪魔をし、何があっても責任がとれないという状況。

だけども、それでは避難所の人々にも、避難所に入れない辛うじて家が残った人々にも、満足な食事や物資が行き渡らないのが現状なのでした。

彼らは資材を投げ打って、彼ら個人のもとに届いた物資や食糧を調理して、延べ1000人に毎日それらを届けているのでした。
燃料代などももちろん持ちだしデス。

その日、炊き出したうどんを運ぶのを手伝う為、あるご老人に就いて避難所の中へ入りました。

重苦しい空気がそこにありました。

1ヶ月間。

ずっとそこにいたんだ。そう思ったら胸が苦しくなりました。

一体、この土地でどれほどの起こったんだろう?

テレビで見た光景が頭の中で何度も繰り返し浮かび上がりました。

厨房で翌日の為のお手伝いをした後、アイヌの英雄アテルイが眠る神社へ赴きました。

小さな橋を渡った途端、景色は一変しました。

家は原形を留めず、大きな貨物船は工場の屋根に乗っかり、ダンプも重機もひっくり返って、まるでハリウッドの撮影所のよう。

その光景は永遠と続き、言葉が出ませんでした。

車の中でどうにかしてポジティブになれるようにとおしゃべりをしていましたが、とうとう言葉が詰まってしまいました。

「辛かったべなぁ。」

涙と言葉が溢れてきました。

「辛かったよぉ。」

ガイドしてくれた亀ちゃんも大きな大きな涙を流していました。

「よく生きたね。今までよく生きた。」

活動的だった彼女は4つ仕事をしていたうちの3つが津波に流されてしまったのデス。それでもこの1カ月、気力と使命感で乗り切ってきたようでした。

神社で憲ちゃんはレラさんに習ったカムイノミをし、アテルイと被害にあった人々の魂の為に私達は祈りました。

岸まで行くと、瓦礫が沈む海。

不思議な事に、あんなに大きな津波が起きたのにとっても透き通っていました。

これが自然か!

怖さが込み上げてきました。

畏怖。

初めてその意味を私は知ったのでしょう。

やはり来るべきだったのだと実感しました。

陸前高田はその比ではありませんでした。


何にもない。

何にもなかったのデス。

沿岸から6キロ丘まで。

海岸線は視界の先まで。

人々の営みも、夢も。

あるのはただ、瓦礫だけ。


立っているのが精いっぱいでした。

途方もなく広い荒野。

この光景が500キロも続くのか!?

苦しくて苦しくておかしくなりそうになった時、瓦礫の中に人を見つけました。

20台位の駐車スペースに、トタンに『気仙沼商会』と書かれた看板を下に置き、ガソリンスタンドを再会させた方達がいたのデス。

1トンの小さなローリー2台にガソリンを調達し、吹きっさらしの中彼らは元気よく

「いらっしゃいませ!」

と声を出しあってました。

店長さんに声をかけ、お話を伺いました。

「誰もうらめないもん。自然の事だから。もう、ここまで来たら笑うしかないもんね!」

言葉が出ませんでした。

そこへ、遠くから一人の男性が歩いてきました。

「お久しぶりです。」

その男性が言うか言わないうちに、

「おお、生きてたかぁ!」

スタンドの店長さんは大きな声で彼に答えました。

二人は私にもわかるように津波の時の話をしてくれました。

衝撃的な出来事。

能天気な私でも容易く想像出来る位、リアルな惨劇。

店長さんは私にこう言いました。

「今の俺らの1番の楽しみは、こうやって生きてる人にもう一度会う事なのさ。だからこうやってもっかい店開いたんだよね。頑張るよ!!」

その言葉に、「頑張ってください」と私は言えませんでした。

だって十分すぎる位に頑張ってるんだもの。

どうしてこんな事が起きてるの?

胸が張り裂けそうでなりませんでした。

「有り難うございます。私も頑張ります!!」

握手してハグして。

でっかい、でっかいハグでした。

写真を撮ってイイかと尋ねると、もう一人の男性がこう言いました。

「いいけど、ファインダーに収まらないよ。」

その言葉はとても乾いた感じがしました。

彼は一家で営んでいた店が流され、お父さんはまだ見つかっていないのでした。

3時間かけて避難所から携帯の充電をしに来たそうデス。

その言葉を残して彼は去って行きました。

避難所に着いた頃にはきっと夕暮れだったでしょう。

店長さんは別れ際、

「復興したら、また北海道に行くからね!」

と笑顔で私達に手を振ってくれました。

避難所に給水に来ていた自衛隊の隊員さんは

「阪神にも行ったし、ハイチにも行ったけど、今回が一番酷かった。」

そう言ってました。

他、避難所の本部の方にもボランティアセンターの人達からも沢山お話を伺いました。

みなさん一様に北海道から来た事への労いと感謝を私達に言ってくれました。

お話していると、私の方がいつも泣いていました。

有り難うと言うのは私の方だったのデス。

彼らが生きて、頑張っている姿が私にとって励みでした。勇気でした。

私の方が有り難うなんデスと彼ら一人一人に伝えました。


報道は一部しか流さないという人がいます。

行政は何もしないという人がいます。

果たしてそうでしょうか?

私にはそれだけが事実とは思えません。

それに収まりきらないんデス。

その位の大変な出来事にあったんデス。

そして様々な事態が起きているんデス。

避難所にいる人々、避難所に行けない人々、原発のそばにいる人々、故郷を遠く離れなければならなくなった人々、内陸の人々、救助している人々、原発に立ち向かっている人々、そして、物理的には全く被災していない人々。

日本全土が被災したんデス。

何が正しくて、何が間違っているのか?

今となっては、私には全く分かりません。

この事態に向かう事全てが正しいのではないかと思います。

被災地は圧倒的に人もお金も足りません。

デスが、私にはボランティアに向かって欲しいとはどうしても言えません。

なぜなら、心身共に安全の保証が出来ないのデス。

私は、戻る約束をしました。

だって、あんな泣き顔で言われたら、占いしている場合じゃないもんって思っちゃったんだもん。

私も一緒に頑張りたいって強く思いました。


現地の人達は口ぐちのこう言いました。

「いつか北海道に行きたいな。終わったらきっと行こう。」

彼らは少しずつ夢を持ち始めました。

デスからみなさんお願いデス。

自粛なんてしないでください!

札幌を始め、その他の町が活気溢れる夢の町になってください。

そしていつか夢の国を作りましょう!!

それから、どの町でもイイデス。

ご縁がある被災地に、これからも継続的に支援をしてください。

希望と言える物はまだまだ少ないのデス。

どうか、どうかお願いします。


最後にないましたが、私を行かせてくださったレラさん、支えてくれたふっちゃん、まーぼーさん、圭介、のりちゃん、憲ちゃん、二風谷のみなさん、ペツ、店長、天野さん、夢横町さん、草刈さん、ストーンマーケットさん冴子姉受け入れてくれたさんさん会のみなさん、陸前高田のみなさん、他、沢山のみなさん、本当に本当に有り難うございます!

そして、こんな長い日記を最後まで読んでくれたみなさん。

本当に、本当に有り難うございます!!


全ての方々に希望の光が降り注ぎますように、心からお祈りいたします!


LoveLove&Peace

2011年4月10日日曜日

マヤ暦の5つの城

マヤ暦で占いで使用している260日のサイクルの『ツォルキン暦』は、更にいくつもの区切りに分ける事が出来ます。

ポピュラーなのは、20日間。
これは、以前にもお伝えした20の神が毎日入れ替わる周期。

その他に、4日間、13日間、52日間のサイクルがあります。

その中で52日間の周期のものは260日を5等分します。

分けられた区切りを順に

『赤の城』『白の城』『青の城』『黄色の城』『緑の城』

と呼びます。

それらは順に『起・承・転・結・回帰』のエネルギーを持ち、20の紋章のエネルギーと組み合わさり、日々の流れに更に独特な変化と意味合いをつけます。

これらをどの様に活用するかと言うと、例えば、物事をスタートさせるには『赤の城』の52日間に合わせるようにします。

特に、初日に当たる『赤い竜・1』の日に。

その時々の流れや予定なども絡むので、限定はしませんが、なるべく早い目の日に行動するようにしています。

そうする事で、順調に進み、取り組みに余裕が出来ると思うからデス。

スタート時に勢い良く進んだ後、次のサイクルで慣れてきてよりスムーズにはかどり、その次の段階では周囲からの刺激も加わり新たな変化が生まれ、内容を深め、やがて熟成されて完成する。

四季の移り変わりのように。

このサイクルで始めると、不思議な事に、自分のしている事が自然とそのような流れに乗ってくるのデス。

さて、今は先日から『青の城』の52日間に突入しています。

260日の中でちょうど真ん中のこの時期は『変化』のエネルギー。

また『変化』?

と思われる方もいらっしゃるでしょう。

はい、また変化デス。

しかしながら、今回話題に上げているエネルギーはもっと広く深い意味での変化デス。

更にこの時期は始めと終わりに黒キンが10日間づつ集中する特異的な時期でもあります。

『変化』には様々な行為があるでしょう。

寝かせる・削る・振り返る・加える・やり直す。

変化は時に痛みを伴う事もあるでしょう。

が、それらはより良い収穫を得る為の大切なプロセス。

恐れず受け入れましょう。

こちらから手を広げて招き入れると、面白いもので、辛いと想像していた事もさほどではない事が多いのデスよ。

2011年4月1日金曜日

エイプリルフール

4月1日。

今日は『エイプリルフール』。

年に1度嘘をついても良いという日。

始まりはヨーロッパと言われています。

諸説ありますが、これも背景には『暦』が隠れているようデス。

16世紀、フランスの国王シャルル9世が、それまで使用していた復活祭のお祭りが終わった翌日を新年としていた暦を廃止し、西暦(当時はユリウス暦、現在のグレゴリオ暦の前進。1月1日が新年。)を導入した事がきっかけとされています。
それにより市民との確執が生まれ、反発した者は罰せられた事から、フランス市民は4月1日に「嘘の新年を祝おう!」と言って始まった市民の祭りに由来しているという説が有力デス。

嘘を言って盛り上がるなんて、日本人にはなかなかないセンス。

こう言うのを「エスプリ」というのでしょうか?

さて、みなさんは今日、どんな『嘘』をつかれましたか?

あまりにリアルで信じ込まれてしまった時は、アフターフォローを忘れずに。


ところで今日、フランスのサルコジ大統領から電話がありました。奥様との相性占いをしたいそうデス(*^。^*)