2011年12月31日土曜日

手帳

初めて手帳を買ったのは高1の冬。
学校、バイト、芝居。
忙しく動きまわっていた為、必要にかられて購入したが、そのシチュエーション自体、自分が大人になったような気がして嬉しかった。

あの頃は大人になるのが楽しみだった。
カレンダーの空欄を埋め尽くそうと必死だった。

やっぱガキだったな。


先日買った手帳は、きっと今まで購入した中で最も薄い物。
選んだ理由は、重たい手帳を持つのが嫌になったから。

年を経て、潜在的に体力に自信が無くなったんだろうな。

店頭に沢山並んでいる手帳を吟味しながら、最もシンプルな物を手に取った時、ふと思った。

来年はもっとシンプルに生きよう。

まもなく2012年。

シンプルに生きて大いに笑おう。

あくる年、みなさんが健やかに過ごせますようにお祈りします。

2011年 大晦日。





LoveLove&Peace


2011年11月30日水曜日

4度目の被災地

宇宙と地球のエネルギーが強くなる赤い自己存在の月の日。

私は思いもかけず空を飛んでおりました。

もちろん飛行機で。

それまでの様々な思いが溢れだし、多くのエネルギーに導かれるようにして片道1500キロの旅が始まりました。


一度関東に入り、その後東北道を北へ向かいました。

1月ぶりの被災地。

前回は慰霊の祈祷の手伝いの為、殆ど地元の人と会えなかった残念な思いがありました。





国道45号線から見える大船渡湾
私が『南からの玄関』と呼んでいる大船渡湾。国道からの眺めは朝霧の中、一艘の船を迎え入れている最中でした。

市内中心部のボランティアセンターに着くと、

「おかえりなさい」の声が。

ほっとした瞬間でした。

受付で仮設住宅での作業を案内され、車に乗って他のボランティアさんと現場に向かうと、その彼女が、

「あの、覚えてますか?」

と私に声をかけてきました。

「前にさんさんの会にお手伝いに行った事があるんですけど。」

彼女は1日だけボランティアに来てくれた地元の人でした。いつ頃かを聞いた時、記憶が鮮明に蘇り、1日しか会っていないのに私の事を覚えていてくれている事が凄く嬉しかった。

仮設住宅での作業は、支援物資のタオルを数枚に小分けする事。

そこで私達に作業を依頼した方は、私に

「あなた、地元の人?」

と聞いてきました。

「いいえ、北海道デス。」

そう答えると、もう一人のボランティアの女性が、

「この方はさんさんの会ってところでずっとボランティアしてたんデスよ。」

と紹介してくれました。

すると

「あなた、覚えてるわ!避難所にお豆腐持って来てくれたわよね?北海道からの人。覚えてるわよ。」

ビックリしました。

大して言葉を交わした事もないのに、覚えていてくれる人がいるなんて。沢山のボランティアが来ているのに。
仮設住宅での作業風景

作業は和気あいあいとしていて、以前、事務方の仕事ばかりしていた私にとっては色んな方と出来る現場の仕事が楽しく感じられました。

三陸地方独特の言葉が飛び交う会話の中、大船渡にいる実感に自然と笑みが沸き、幸せな気持ちが込み上げてきました。
その晩私はその仮設住宅に泊まらせて頂きました。

是非にとの事でした。

嬉しくって、嬉しくって、たまりませんでした。

9月に大船渡を去った時、そのような話をしていただけるなんて、私には遠い夢のように思えていたからデス。

朝からおかずが沢山
晩ご飯に沢山のおかずを用意してくださり、寝床には敷布団を2枚敷いてくれたり、朝もおかずが沢山。

ボランティアは自己完結が鉄則。

被災者の方にお世話になるなんて事は、絶対にしてはいけないと思っていました。

しかし、もてなしたいという気持ちを断る事は出来ませんでした。

有り難うを形にしようとしている姿に、復興の兆しを見たのデス。

有り難く甘えさせて頂きました。

「また来て泊ってね!」

私は必ずまた戻る約束をしました。


その数日間、「希望」の欠片を掴んだような気がしました。

あちらこちらで大工さんが忙しく働いている姿や新しい信号機。

「観光でイイから見に来て欲しいの。」

という被災者の方々の言葉。

全ての方がおっしゃっている訳ではありません。が、そのような言葉で心を開いてらっしゃる方も増えてきている事を実感しました。


10月に北海道へ戻ってからずっと、被災地を思い出す度に涙は止まりませんでした。

それは今も変わりません。

でも、その意味は少しずつ変わっていきました。

今流れる涙は、小さな希望に喜ぶ涙。


1000年に1度の震災。

翌日の泥かきの作業現場にて
その復興をほんの少しでも身近に感じられる事に心から感謝します。


そして、このブログを読んでくださる全ての方々にお願いします。

まだ被災地に訪れてないのであれば、是非今のうちに足を運んでください。

興味本位でも構わないと思います。

1000年に1度の大自然の息吹を感じ取ってください。

感じ取るだけで結構デス。

この時代に生きている事を実感してください。

被災地の方々は少しずつ明日を夢見ています。

私達もまた1歩踏み出しませんか?


またしても長い長いブログになりました。

終わりまで読んで頂き有り難うございます。


最後にもう一言。

もし、岩手県に行かれるならお土産には大船渡銘菓の『かもめの玉子』。ミニサイズがおすすめデス。

LoveLove&Peace

2011年11月23日水曜日

お試し版

アプリをダウンロードしたので、テスト中。

思った通りに投稿出来るかな?


2011年11月14日月曜日

目標は高い方がイイ?

美ジョガーなる言葉が出てきて久しいこの頃。

ジャージを着てジョギングやウォーキング姿も珍しくなくなりました。


 体育会系に見られる私も、ちょくちょく近くの公園を走ったりします。

人からはすごく早く走っているのでは?というイメージを持たれていますが、その実はゆっくりゆっくり。

元来せっかちな性格デスから、ゆっくり走るのは性に合わないのデスが、ある時期から早く走るのをやめたのであります。

そのきっかけを作ってくれたのがビリー隊長。一時期空前のブームを作ったあの方デス。


運動不足が続き、スタイルの良さが自慢だった私が、見るも無残な体型に自暴自棄になっていた時。

当時、深夜のショッピング番組でやたらとテンションの高い黒人が印象的でした。

「効き目なんかあるわけない。」

と冷ややかな目でTVを見ていた私でしたが、ある夜、夢枕に絶好調にテンションの高い黒人が立った翌日、

「買わなきゃ!あのDVDを買わなきゃ!!」

と取る物もとりあえずフリーコールに電話した私がおりました。

TVショッピングの単純な戦略にまんまと乗ってしまったにも関わらず、商品が届くまで、スレンダーに生まれ変わった自分を妄想する日々。

世の中そんなに甘くない。その言葉を吐くのに時間はかかりませんでした。

商品が届いてその場でDVDを流し、意気揚々とワークアウトを始めた私。

あのプログラムを一度でもトライした事がある方は想像がつくでしょう?

30分、持ちませんでした。おまけに、翌日から3日間の筋肉痛。

1週間で3kgマイナスどころか、1日分まともに出来ず。。。

商品が届く前から周囲に振れ回っていた私。

周囲から揶揄されるという思いと無駄遣いの両方の重力がのしかかった瞬間でした。

「まいったなぁ。どうしよう?」

元々は諦めの悪い私。悔しさも手伝って、なんとかプログラムをクリアする方法はないかと思案していた時、ビリー隊長の言葉を思い出しました。

「無理しなくていい。途中で休んでも構わない。自分のペースでやるんだ。」

その時私は閃きました。

そうだ!無理するからいけないんだ。きっと私の体は自分の想像以上に衰えている。

だったら、もっとだらだらやろう。動きさえ合わせていればイイんだ。

寝起きのラジオ体操のように、思いっきりだらだらやってみよう!

その翌日から、やる気のないトレーニングが始まりました。

ビリー隊長と彼らの弟子(?)のテンションとは正反対に、だらだらとトレーニングを続ける日々が1週間続きました。

するとどうでしょう。当然と言えば当然デスが、筋肉痛にもならず、初日30分も続けられなかったトレーニングが楽にできるようになったのデス。

翌週もそれは続けました。その時のテーマはどんなに体が乗って来ても決して一生懸命やらない事。

そして、だらだらトレーニングは1カ月間続きました。

さて、この方法、効果があったと思いますか?

答えはイエスデス。

毎日だらだらやっていたにも関わらず、体重は2kg落ち、ワンサイズダウンしたのデス。

そのころには、だらだらとは言っても、初めの頃よりもずっと動きがよくなり、身軽になっていました。

トレーニングは7カ月続き、半年たった頃には、あのビリーバンドも使えるようになっていました。

友人知人達は「まだやってるの!?」と驚くばかり。

「無理しなくていい。」と言ったビリー隊長のお陰デス。


この経験は、他のどんな事にも当てはまるような気がします。

初めの挫折は高すぎる目標がと自分の状態の把握が出来てなかった事に因るのだと思います。

すぐに痩せられる。

それが叶わなかった時、「私はなんてダメな人間なんだろう」と思いました。

そこで「無理しなくていい。」という言葉を思い出し、目標設定を低く出来たお陰で、最終的には初めに立てていた目標をクリアする事が出来ました。

何かを得るには努力と忍耐、そして時間が必要なんだと改めて思い知らされた出来事でした.。


その後も色々な場面で挫ける事も多々ありますが、あの頃を思い出し、その都度目標設定を下げ、亀のようにゆっくりと進んでおります。

小さい目標をクリアしては「私ってスゴイ!!」と自賛しながら。



その内、夢に描いた目標に届けばいいなぁと思いながら過ごしております。

目標は高ければ高い方がイイ。とは申しますが、人それぞれ。

何よりも続けられるようにするのが大切なのではないかと思います。



LoveLove&Peace


2011年11月9日水曜日

仕事と恋愛

「『俺と仕事とどっちが大事なんだよ!』て言われてさぁ、もちろん仕事だよねぇ。」

と女同士で飲み明かしたりした事もあった。

今、その女達の半分は、後悔し始めてる。


残りの半分は自らの主張を覆し、家庭を築いている。

ちゃっかり仕事に戻っている人もいる。


さて、あなたはどっち?


LoveLove&Peace


2011年11月2日水曜日

商売人

送りそびれていた荷物を入れる為の段ボールを探さなくてはならなかった。

ふと、コーラが飲みたくなった。

外は程良い日差し。温かい。

散歩がてら、段ボールを探しに外へ出た。

実家の近所にちょっと不思議な八百屋がある。

そこには100円の自販機もある。

今まで1度しか行った事がなかったが、欲しい段ボールは小さい物だし、近くには他にお店はない。

試しにそこに行ってみる事にした。

随分古くから商いしていると記憶しているが、いつの頃からか、手書きの大きなポップが掲げられるようになった。

不思議な世界観お店。

それが私の印象だった。


昔ながらのたたずまい。

普段から利用しないお店でいきなり

「段ボールください。」

ってのも失礼だろうから、何か購入してからと物色していると、お店の奥から物音が。

「こんにちは。」

声をかけると、すっかり腰の曲がったおばあちゃんが

「あらあら、いらっしゃい。」

と表へ出てきた。

「ごめんなさいね、私ちょっと用があるもんだから、少し。どうぞゆっくり見てってください。」

予想に反せずマイペースなおばあちゃん。

「大丈夫デス。じゃあ、その間にジュース買ってきます。」

と言って、脇にある自販機で念願のコーラを購入。

さて、今日は果物って気分でもないし、何を買おうかと思っていると、立派におがったネギを発見。

値札も何も付いていないが、購入出来るのかと電話での話が終了したおばあちゃんに聞いてみると、

「あら、これね。これいいのよ。無農薬で。今届いたの。美味しいわよ。」

とこんな感じ。

マイペースでかつ気さくなおばあちゃん。

これなら頼めると、本題を切り出してみた。

「あの、この位の段ボールが欲しいんデスけど、ありますか?」

「どの位?ああ、その位ね。これならおっきいの?あるよ。裏にあるから、着いておいで。」

彼女はお店の裏手に私を案内した。

「あんまりおっきくないやつでしょ?わかる。私ね、取っといてるの、いつも。便利でしょ?こういう時に。場所も撮るんだけどね、こういう事もあるもんだから。ほら、この位でしょ?」

話しながら小さな倉庫に私を招き入れ、手頃な物を差し出した。

「ええ、この位デス。」

私はそれを受け取り、ネギを2本くださいと言った。

「ああ、ネギね。はい、わかりました。えっと。。。」

腰の曲がったおばあちゃんは、またえっこらえっこら店に向かった。

「で、おいくらデスか?」

私が尋ねると

「1本100円だけどいいかい?」

九条ネギのような立派な物。100円は十分な安さだった。

「ええ、もちろん。」

彼女はネギを新聞にくるみながら

「余計な事かもしれないけれど。。。」

とネギについての豆知識を教えてくれた。

小銭がない為1000円を差し出すと、

「あら、ないの?100円とか。」

と、彼女。

「すみません、さっきジュースを買ってしまって小銭が無くなったんデス。」

お釣りがないのかな?と思っていると、

「そうなの?150円でも、190円でも。小銭がないならおまけするよ。」

そう言われた。

驚いた。

「いえ、本当に少ししかないんデス。それで取ってください。」

私は答えた。

「そう、ごめんね。じゃあ遠慮なく。はい、800円。」

「有り難うございます。」

「あら、そしたらあなた、その箱貰う為に買ってくれたんじゃない?そのジュースだって。」

「いえ、違います。」

私は嘘をついた。

「そうなの?わかるのよ、私には。商売人だもの。でもね、そうしてくれると嬉しいわよね。今度来てくれた時に、ああおまけして上げようって思うもんね。有り難う。」

「こちらこそ、有り難うございます。また。」

私はそうお礼を行って店を離れた。


家に戻る数分間。胸から込み上げる何かに、涙が出そうになっていた。

優しいって何だろう?

見返りを持たないって何だろう?

商売って?


夜の世界から離れて5年。


まだ、くだらないゲームの癖が抜け切れていないんだと感じた。



LoveLove&Peace


2011年10月30日日曜日

終わらない

マヤ暦に携わって5年。
私なりの見解を深めてきた。

「2012年はどうなるの?」
「今年で終わるんでしょう?」

といった類の質問にうんざりしながらも、こう切り返した。

「終わりだとしたらどうする?」

その問いに答えた人はまだ一人もいない。

先の見えない時代。

誰もがそう表現する。

今に始まった事だろうか?

子供の頃、自分が占い師と名乗るなんて考えもしなかった。
こんな風に生きるなんて想像もしなかった。
3カ月前だって、今の自分が見えなかった。

でも確かに私は今、生きている。
相変わらず煙草をふかしながらブログを上げている。

それが答えだ。

もし、本当にこの世の最後がやってくるなら、私は愛する人の元へ行こう。
そして、共に去る事を喜ぶであろう。
それが不可能だとしても、きっと後悔はしない。
なぜなら、愛しい人を失う苦しさを味わう事がないからだ。
残していく悔やみすら持たずにすむ。

それを不運と思えるだろうか?

この世に生を受けたもの全てに、全ての物を与えられているんデス。

大切なのは見失わない事。

何を見失ったのか分からなくなったら、この世の最後が訪れると想像するとイイ。

そうすれば、失いたくないものが何なのか分かるから。



LoveLove&Peace


2011年10月28日金曜日

モットー

数年前、北海道の日高山脈の麓にある二風谷で生活していた頃の出来事。

敷地内全ての建物の暖房が薪ストーブであった為、家主であるレラさんは毎晩夜回りしていた。

そこでの生活は起床7時、消灯22時,

うっかり消灯時間を過ぎても灯りを点けていると、ドアがけたたましい音を立てて開き、怒鳴り声が響く。

「うちは原発反対してるんだから、余計な電気使うんじゃないよ!!」



LoveLove&Peace


2011年10月25日火曜日

占い師は自分を占えない?

「占い師って、自分は占えないって言いますよね?」

よくこのような質問をされる。

「占えないんじゃないデスよ。占いたくないんデス。」


だって、そりゃあ、怖いデスから。

気になる人との相性だって、良くなかったらへこむでしょう。

占い師だって人の子デス。

それよりは、例え天に逆らってでも手探りで好きな道を行きたいって思うのが人ってものでしょう。

大丈夫、カムイもアッラーもジーザスもブッダもそんな事位、合点承知。
そう生きるように彼がデザインしたんデスから。

結果が分かりきっているレスポンスよりも、ドキドキワクワクしながらリアクションを待つ方が、喜びもひとしお。

後は流れで。


占い師らしくない占い師。

ええ、よくそう言われます。


LoveLove&Peace

2011年10月24日月曜日

やめたくない

どんなに苦しくて、例えコースを短くしたとしても、

ジョギングの最中は、自分が決めたゴールまで走るのをやめたくない。

苦しくても、最後まで走り続けるその時こそ、明日の筋骨が作られるんだ。


LoveLove&Peace


2011年10月18日火曜日

涙しか出ない

4月から始めた東日本大震災のボランティアを終え、千葉での休暇を経て、先日北海道へ帰ってまいりました。

何人かにお会いした友人・知人に

「どうだった?」

と聞かれる度に、なんと答えて良いのやら、一言では言い表せる筈もなく、無言になってしまうのがしばしば。
その度に、知らない土地で休暇を取って良かったと思うこの頃デス。

9月初頭に大船渡を離れ、いつまでも続く瓦礫の山を見ながら

「本当にこのまま帰っても良いのか?」

と言う疑問を抱えながら高速バスに揺られていました。
すっかり日が落ちてから覗いた車窓には、荒川に映り込む建物の灯りの数々。

「同じ日本なんだぁ。」

思わずつぶやいた一言。

平和な土地を羨ましく思った瞬間でした。

始めの2週間はそれまで抑えていた感情を吐き出したくて、毎日のように泣いていました。

吐き出す言葉は愚痴ばかり。

掲げられる「がんばろう」のスローガンを見ては気分がふさぎ

「もう頑張りたくない。頑張らなくてもイイよね?」

と友人にすがっていました。

未来の事なんて、何一つ考えられませんでした。

「5カ月間、一体何をしてきたんだろう?」

色々な所へ連れて行って貰いながらも、いつも何かを憂いでいたように思います。

そんな状態にも関わらず、見守り、励まし続けてくれた友人に感謝デス。


彼がいなければ、私はいつまでもこの世を憂い続けたでしょう。


北海道に戻り、地元の友人たちと会い、時間を満喫している内にボランティアに旅立って以来初めて自分が心から楽しんでいる事に気がつきました。

辺りを見回し、平和を謳歌している人々を見て、

「平和で良かった。ここが平和で本当に良かった。」

と心の中で思いました。

もし、ここが瓦礫の山だったら?

そうであれば私はもうどこへも行くあてがなかったでしょう?

被災地ではそこで生活している方達は沢山います。瓦礫が日常デス。

デスがやはり、何も壊れていない、恵まれている自分が生まれ育った街が、どこよりも私に安らぎを与えてくれました。

「何も出来ない。」

と、ボランティアに行った私に友人たちは口々にこの震災に対しての感情を私に洩らしました。

デスが、私はこの土地を守ってくれていた事こそ、大いなる貢献だったと思います。

旅立つ前、被災地以外の土地を夢の場所にして欲しいと願いました。

戻って来て、その願いは叶ったのデス。

この平和は私の夢でした。

何も変わらず美しい日常は変わらずに流れている。

なんと素晴らしい事でしょう!


今も涙は止まりません。

被災地で今も必至で生きている人々。それ以外の土地で一生懸命生きている人々。

その姿を思い浮かべる度に、自分では理由が分からないけれども涙は止まりません。

この世界に生まれて良かった。

この時代を生きる事が出来て本当に良かった。

そう思います。

今まで支えてくれた事に感謝します。

そして、例えどんな試練にぶつかっても、みなさんの歩む先に希望の光が降り注ぎますようにこれからも祈り続けます。



ありがとう。



LoveLove&Peace



2011年10月1日土曜日

一人ごはん

キッチンで、何を作ろうかと考える。

一人分のごはん。

誰かと一緒に食べる為なら、きっとなんだってアイディアは浮かぶ。

一人、留守番している最中、思いつく料理は何もない。

「何でもいいか。」

呟きながらインスタントラーメンをゆでる。


自分の為だけにしたい事なんて限られてる。

誰かが喜んでくれるから、やがて大きな事も成し遂げられるんだ。

一人ぼっちはつまらない。


ラーメンの無機質とは裏腹に、感謝の気持ちが込み上げる。


そばに居てくれて有り難う。

居させてくれて有り難う。




2011年9月22日木曜日

年輪

昨日の台風で倒れた桜の街路樹の年輪を数えた。

その本数60余り。

長い年月を経て、この見事な並木道が出来上がった。

幾度の風雨に耐え抜いて。

だから、諦めないで。

2011年9月21日水曜日

満たされた言葉

相方が紹介してくれた人は沢山いる。

彼女は占い師である前に、人間力の高い人物だ。

ある日、彼女は私を"ライブ"に連れて行ってくれた。

ライブは、小さな喫茶店で行われた。

どんなライブかと思ったら、ライダースジャケットと皮パンを身にまとった派手なおっさんが面白おかしく喋りまくる。
爆笑に次ぐ爆笑。

彼は落語家でも漫談師でもなかった。
彼は牧師だった。

その中で、最も印象的だった言葉がある。

「ニューヨーク大学のリハビリテーションセンターの壁にこんな詩が書かれています。

『大きなことを成し遂げるため

力を与えて欲しいと神に求めたのに

謙遜を学ぶようにと 弱さを授かった

偉大なことができるように 健康を求めたのに

よりよきことをするようにと 病気を賜った

幸せになろうとして 富を求めたのに

賢明であるよにと 貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようとして 成功を求めたのに

得意にならないようにと 失敗を授かった


求めたものは一つとして与えられなかったが

願いはすべて 聞きとどけられた

神の意添わぬ者であるにもかかわらず

心の中の言い表せない祈りは すべて叶えられた

私は最も豊かに 祝福されたのだ』


例えばどんなにお金を持っていたって、使い方が分からなければ持っている意味がない。

頭を使って賢くなるようにと貧乏を授けたのです。


例え、物質的には満たされていなくとも、この詩を書いた彼は心が満たされたのです。」


その言葉で私は満たされた。


彼の名はアーサー ホーランド。

不良牧師と呼ばれ、全国で"ライブ"と謳って講演をしている。


http://blog.arthur-hollands.com/

2011年8月9日火曜日

良く学び、よく休め

気付けばもう3カ月。
瓦礫に見慣れ、すっかり片付いた街の中を

「すごいですね。」

と言う新人ボランティアの方々と全く共感できない今日この頃。

みなさん、いかがお過ごしデスか?

私は、毎日、只ただ、忙しい日々を過ごしています。
毎日頭をよぎるのは、「ボランティアとは何ぞや?」

炊き出しボランティアの調理補助で戻った『さんさんの会』。
厨房に入っていられたのはほんの2週間。
あっという間に事務方に回され、今じゃ人生で最も経験したくなかった、会社で言うところの中間管理職的なポジションに収まってしまった。

集団が大の苦手な私にとって、何年振りかで感じるストレス。
個性と統率の狭間で、私は毎日もがいています。

自分がいかに愚かであったか?という事と、
世の中には本当に色んな人がいるんだな。という事    。

ボランティアに来る人にもにも色んな人がいる。

私とスタンスが違うのは当たり前の事と受け取るが、ここが被災地である事を理解しているのか?と疑問を抱く事もしばしば。。。

厨房でどんぶりを1500個洗っていた時、拭き上げの布が濡れてしまい足りなくなった時に、

「ここには乾燥機付きの洗濯機はないのかしら?」

と言った女性がいた。

トイレの洗剤を1階と2階で共用していると、

「1階と2階を行ったり来たりするのはしんどいから、2つ買って下さいよ。」

と毎週山登りに出かけるおっさんが言った。

その度に、

「すみません、うちは全て寄付でやってますからそんなに簡単には用意出来ません。ごめんなさい。」

と謝る。

陸前高田に行っては感極まって夜中まで語る人々。
今問題にすべきは震災の悲惨さではなく、復興の遅さなのに。
助けに来たのか、観光しに来たのか。。。
隣では寝ている人もいるのに、酒宴は遅くまで繰り広げられる事もある。

1つの作業が終わると何もせず、何も聞かずにたたずむ人々。
後で聞くと

「指示がないから。」

と言われる。

作業をお願いすると

「やり方が分からないからできません。」

と返事される。

かと思えば、勝手に指示を出す人が現れたりする。

空いてる時間をボランティアに。

素敵な考え方だと思う。

しかし、被災者なくして震災ボランティアは存在しない。

被災者から信用を得るのにどれだけの時間を要したか。

ボランティアを立ち上げたメンバーは全員地元市民。
そんな彼らでさえ初めは苦労していた。

全国からの支援を得るまでは、自らの財産を使っていた。

彼らがいなければ、このボランティア団体は存在しないのに。。。

この頃、避難所を離れた被災者の方々から、様々な困難を聞くようになった。

「避難所にいた方がまだまし。」

という声の多さに今後の支援の重要性を感じるが、果たして今のままで支援を続けらるのか?という不安が沸くようになった。

8月末でボランティアの活動を終了する私。

今、自分が何をして、どうあろうとするのかが大きな課題なのであります。

ボランティアとは何ぞや?

再び疑問が頭をよぎる。

沢山のボランティアを受け入れていく内に、ボランティアする姿はその人となりを表すのだろうと感じるようになった。

残念な出会いもあったが、有り難い出会いも沢山あった。

キャリアのある料理人であるにも関わらず、厨房の整理を物も言わずずっとやり続けた人。

朝の連ドラの出演者であるにもかかわらず、黙って野菜を切る女優。

県議会議員なのに、ごみ捨てをかってでる人。

役人のキャリアにも関わらず、毎日トイレ掃除していた人。

積極的な若者達。

現地では思ったより役に立たなかったと言いながら、地元で物資を集めてくれる方々。

何度も戻って活動してくれる人々。


「ここに来て良かった。」


そう言って帰っていくみんな。

多くの人々に多くの事を教えて貰いました。

それらを振り返れば、自分がここへ来た本当の意味も見えてきます。

震災から間もなく5カ月。

走り続けたボランティアの活動にも一旦の終止符を打つ時がやって来ました。
ギリギリまで酷使した体は、もう無理が利かず、余裕をもった仕事が出来ないのが現状デス。
今回の一番大きな反省点は休まなかった事。

 誰に反対されてもみんなが休養を取る時間を、もっと早くに作れば良かったと思う最近。


ボランティアは体が資本。


学びと休養がここでは最も大切にすべき事なのだと実感した私でした。

2011年6月29日水曜日

被災地にて


岩手県大船渡市に移ってから約2カ月。

大きな津波が街を襲ってから3カ月の月日が過ぎました。
初めて訪れた時に比べると、随分きれいになったように思います。
だけど、それは初めて来た時があまりにも無残な状態だった為で、今はそれに比べて随分ましになったという事なのでしょう。
まちには未だ多くの瓦礫が山積しています。



多くの避難所が解散し、仮設住宅やアパートに移り住んだり、ご自宅を直して帰り住む方々が増えました。
デスが、私がお手伝いしている『さんさんの会』が活動している施設『リアスホール』には未だ、100名以上の避難者がおり、体育館などで寝泊まりしている日々が続いています。
インフラの復旧は完全ではなく、国道の信号のない交差点には警察官が立っており、完成されたはずの仮設住宅は水道の水が濁ったままで使用不可となり、入居が大幅に遅れるなど、『復旧』とはおおよそかけ離れているのが現状デス。
朝のニュースはいつも被災地の様々なエピソードが放送されて居て、朝食を食べながら涙する事もしばしば。
自分たちが炊き出した食料や支援物資を届けている避難所なども何度も映って、その内容が身にしみて伝わる一方、
「このニュースは地方版なんだ。」
と、全国にこれらの情報が行き渡っていない現状に悲しみを覚える日々。



そんな中、私が参加しているボランティア団体には多くのボランティアの方々がいらしてくれています。
北は北海道から、南は沖縄まで。
10代から60代までの様々な職業の方々が、取る物もとりあえずただ一言、
「何ができるか分かりませんが。」
という言葉を携えて、移動にまる1日を費やし遠路はるばる重たい荷物を抱えて来てくれてます。
もう何人を迎えたでしょう。
そして、何人を見送ったでしょう。
今、彼らは遠くご自身の地元で、今の現状を多くの人達に伝えて更なる支援を募ってくれています。
本当に有り難い事デス。



被災地では、未だプライベートを確保できない避難所に多くの方々が暮らし、仮設住宅へ映った人々や自宅避難の方々は多くの施設や商業施設が消滅してしまった事により、移動も買い物も医療サービスを受ける事も困難な状況にあります。
新しく生活をスタートさせるにも、何にも揃えれないのが現状デス。



その中で、一人ひとりが出来る事は、本当にわずかな事デス。
デスが、どうかお願いデス。
わずかな事でも構いません。
私達はまだまだやり続ける必要があります。
支援のたすきをつなぎ続けてください。


失われた景色の中、新しい命は今日も誕生しています。

それらは美しい色をなし、新たな風景を彩っています。
美しい三陸の景色。
今一度、この美しい眺めが、多くの人々の営みに、恵みと安らぎを与えてくれる事を願います。




LoveLove&Peace

2011年4月24日日曜日

休業のお知らせとお願い

前回の日記で少し触れましたが、今月末28日に、大船渡へ再び向かう事となりました。
今度の旅も少し長めデス。

炊き出しのボランティアのお手伝いをさせて頂きます。

その為、占い業はしばらくお休みします。

期間は決まっていません。

黄色い戦士が好きな言葉は「命懸け」。

骨を埋める覚悟ではあります。

と言っても、いつかは帰って来るとは思います。が、放射能の問題が深刻になったら、その時は鎖国します。

そして、三陸の豊かな自然の中で夢の楽園を作って暮らします。

スカイプなどの診断も、被災地の電力や寝泊まりする公民館の公共性を考えて、同じく休業させていただく事に致しました。

誠に勝手ではありますが、何卒ご理解ください。

マヤ暦については、時間の合間を見つけて今後もブログなどで発信していきたいと思います。

電波状況等で更新が遅れる事も考えられます。ご了承ください。

先にも述べたように、被災地は圧倒的にお金も人も足りません。

継続的なご支援をどうかお願い致します。

マヤの世界へお越しくださり有り難うございました。

これからもみなさんに素敵な出会いと出来事が沢山訪れます事をお祈りいたします。

また、会う日まで。

LoveLove&Peace

2011年4月23日土曜日

夢 ~震災地で見た事、感じた事~

みなさんは夢をお持ちでしょうか?

それはどんな夢デスか?


先日、宮城県、岩手県三陸沿岸へ行って参りました。

仙台と大船渡、陸前高田へ。

そこでは何が起きたか、みなさんは既にご存じでしょう。

私も、報道等で前もって状況は把握しいたつもりでした。

二風谷のレラさんの依頼で、二風谷に集まった物資を届ける為、苫小牧から青森へ。
八戸の港が津波の被害によって寄港出来ない為、青森への上陸でした。

その後、一旦盛岡へ行き、市内でアイヌ雑貨店を営んでいるまーぼーさんとふっちゃんのお宅へ赴きました。
翌日、お二人のご友人の仙台の幼稚園へ物資を届けに。

仙台郊外は古いお家が倒壊。
2日前の大きな余震によって停電などが起き、訪れた場所の方は大きな不安を隠しきれない様子でした。

食事を振舞ってくれたのデスが、買い物を行くにもなかなか品物が手に入らず、食器も地震によって随分紛失してしまい、

「こんな物しか用意出来ないけど。。。」

とおっしゃりながらも美味しいシチューをご馳走してくれました。

帰り際、私達を見送ってくれた際、

「やっぱり、人に会わなくちゃダメね。元気出た。私も明日から会いに行くわ!」

と言った言葉が印象的でした。

その翌日は、まーぼーさんとふっちゃんが支援している大船渡へ。

遠野物語が舞台となった美しい山間を通り沿岸へ向かったのデスが、盛岡も、遠野一帯も、あの大きな地震が本当に起きたのかと疑う位に大きな被害は見当たらず、乗せてもらった運転手の憲ちゃんと共に、半ば穏やかに現地へ向かいました。

大船渡で私達を迎えてくれたのは、個人の有志で集まった『さんさん会』の亀ちゃん。

大きなハグで、私達を迎え入れてくれました。

わずかながらの物資を手渡し、リーダーの山崎さんにお話を伺いました。

彼らは完全に無償で活動しており、個人の団体であるが為に、炊き出しのボランティアも市は黙認という形を取って、ゲリラ的に活動しているのでした。

本当はちゃんとした委託でなければ利用出来ない施設なのデスが、法令が邪魔をし、何があっても責任がとれないという状況。

だけども、それでは避難所の人々にも、避難所に入れない辛うじて家が残った人々にも、満足な食事や物資が行き渡らないのが現状なのでした。

彼らは資材を投げ打って、彼ら個人のもとに届いた物資や食糧を調理して、延べ1000人に毎日それらを届けているのでした。
燃料代などももちろん持ちだしデス。

その日、炊き出したうどんを運ぶのを手伝う為、あるご老人に就いて避難所の中へ入りました。

重苦しい空気がそこにありました。

1ヶ月間。

ずっとそこにいたんだ。そう思ったら胸が苦しくなりました。

一体、この土地でどれほどの起こったんだろう?

テレビで見た光景が頭の中で何度も繰り返し浮かび上がりました。

厨房で翌日の為のお手伝いをした後、アイヌの英雄アテルイが眠る神社へ赴きました。

小さな橋を渡った途端、景色は一変しました。

家は原形を留めず、大きな貨物船は工場の屋根に乗っかり、ダンプも重機もひっくり返って、まるでハリウッドの撮影所のよう。

その光景は永遠と続き、言葉が出ませんでした。

車の中でどうにかしてポジティブになれるようにとおしゃべりをしていましたが、とうとう言葉が詰まってしまいました。

「辛かったべなぁ。」

涙と言葉が溢れてきました。

「辛かったよぉ。」

ガイドしてくれた亀ちゃんも大きな大きな涙を流していました。

「よく生きたね。今までよく生きた。」

活動的だった彼女は4つ仕事をしていたうちの3つが津波に流されてしまったのデス。それでもこの1カ月、気力と使命感で乗り切ってきたようでした。

神社で憲ちゃんはレラさんに習ったカムイノミをし、アテルイと被害にあった人々の魂の為に私達は祈りました。

岸まで行くと、瓦礫が沈む海。

不思議な事に、あんなに大きな津波が起きたのにとっても透き通っていました。

これが自然か!

怖さが込み上げてきました。

畏怖。

初めてその意味を私は知ったのでしょう。

やはり来るべきだったのだと実感しました。

陸前高田はその比ではありませんでした。


何にもない。

何にもなかったのデス。

沿岸から6キロ丘まで。

海岸線は視界の先まで。

人々の営みも、夢も。

あるのはただ、瓦礫だけ。


立っているのが精いっぱいでした。

途方もなく広い荒野。

この光景が500キロも続くのか!?

苦しくて苦しくておかしくなりそうになった時、瓦礫の中に人を見つけました。

20台位の駐車スペースに、トタンに『気仙沼商会』と書かれた看板を下に置き、ガソリンスタンドを再会させた方達がいたのデス。

1トンの小さなローリー2台にガソリンを調達し、吹きっさらしの中彼らは元気よく

「いらっしゃいませ!」

と声を出しあってました。

店長さんに声をかけ、お話を伺いました。

「誰もうらめないもん。自然の事だから。もう、ここまで来たら笑うしかないもんね!」

言葉が出ませんでした。

そこへ、遠くから一人の男性が歩いてきました。

「お久しぶりです。」

その男性が言うか言わないうちに、

「おお、生きてたかぁ!」

スタンドの店長さんは大きな声で彼に答えました。

二人は私にもわかるように津波の時の話をしてくれました。

衝撃的な出来事。

能天気な私でも容易く想像出来る位、リアルな惨劇。

店長さんは私にこう言いました。

「今の俺らの1番の楽しみは、こうやって生きてる人にもう一度会う事なのさ。だからこうやってもっかい店開いたんだよね。頑張るよ!!」

その言葉に、「頑張ってください」と私は言えませんでした。

だって十分すぎる位に頑張ってるんだもの。

どうしてこんな事が起きてるの?

胸が張り裂けそうでなりませんでした。

「有り難うございます。私も頑張ります!!」

握手してハグして。

でっかい、でっかいハグでした。

写真を撮ってイイかと尋ねると、もう一人の男性がこう言いました。

「いいけど、ファインダーに収まらないよ。」

その言葉はとても乾いた感じがしました。

彼は一家で営んでいた店が流され、お父さんはまだ見つかっていないのでした。

3時間かけて避難所から携帯の充電をしに来たそうデス。

その言葉を残して彼は去って行きました。

避難所に着いた頃にはきっと夕暮れだったでしょう。

店長さんは別れ際、

「復興したら、また北海道に行くからね!」

と笑顔で私達に手を振ってくれました。

避難所に給水に来ていた自衛隊の隊員さんは

「阪神にも行ったし、ハイチにも行ったけど、今回が一番酷かった。」

そう言ってました。

他、避難所の本部の方にもボランティアセンターの人達からも沢山お話を伺いました。

みなさん一様に北海道から来た事への労いと感謝を私達に言ってくれました。

お話していると、私の方がいつも泣いていました。

有り難うと言うのは私の方だったのデス。

彼らが生きて、頑張っている姿が私にとって励みでした。勇気でした。

私の方が有り難うなんデスと彼ら一人一人に伝えました。


報道は一部しか流さないという人がいます。

行政は何もしないという人がいます。

果たしてそうでしょうか?

私にはそれだけが事実とは思えません。

それに収まりきらないんデス。

その位の大変な出来事にあったんデス。

そして様々な事態が起きているんデス。

避難所にいる人々、避難所に行けない人々、原発のそばにいる人々、故郷を遠く離れなければならなくなった人々、内陸の人々、救助している人々、原発に立ち向かっている人々、そして、物理的には全く被災していない人々。

日本全土が被災したんデス。

何が正しくて、何が間違っているのか?

今となっては、私には全く分かりません。

この事態に向かう事全てが正しいのではないかと思います。

被災地は圧倒的に人もお金も足りません。

デスが、私にはボランティアに向かって欲しいとはどうしても言えません。

なぜなら、心身共に安全の保証が出来ないのデス。

私は、戻る約束をしました。

だって、あんな泣き顔で言われたら、占いしている場合じゃないもんって思っちゃったんだもん。

私も一緒に頑張りたいって強く思いました。


現地の人達は口ぐちのこう言いました。

「いつか北海道に行きたいな。終わったらきっと行こう。」

彼らは少しずつ夢を持ち始めました。

デスからみなさんお願いデス。

自粛なんてしないでください!

札幌を始め、その他の町が活気溢れる夢の町になってください。

そしていつか夢の国を作りましょう!!

それから、どの町でもイイデス。

ご縁がある被災地に、これからも継続的に支援をしてください。

希望と言える物はまだまだ少ないのデス。

どうか、どうかお願いします。


最後にないましたが、私を行かせてくださったレラさん、支えてくれたふっちゃん、まーぼーさん、圭介、のりちゃん、憲ちゃん、二風谷のみなさん、ペツ、店長、天野さん、夢横町さん、草刈さん、ストーンマーケットさん冴子姉受け入れてくれたさんさん会のみなさん、陸前高田のみなさん、他、沢山のみなさん、本当に本当に有り難うございます!

そして、こんな長い日記を最後まで読んでくれたみなさん。

本当に、本当に有り難うございます!!


全ての方々に希望の光が降り注ぎますように、心からお祈りいたします!


LoveLove&Peace

2011年4月10日日曜日

マヤ暦の5つの城

マヤ暦で占いで使用している260日のサイクルの『ツォルキン暦』は、更にいくつもの区切りに分ける事が出来ます。

ポピュラーなのは、20日間。
これは、以前にもお伝えした20の神が毎日入れ替わる周期。

その他に、4日間、13日間、52日間のサイクルがあります。

その中で52日間の周期のものは260日を5等分します。

分けられた区切りを順に

『赤の城』『白の城』『青の城』『黄色の城』『緑の城』

と呼びます。

それらは順に『起・承・転・結・回帰』のエネルギーを持ち、20の紋章のエネルギーと組み合わさり、日々の流れに更に独特な変化と意味合いをつけます。

これらをどの様に活用するかと言うと、例えば、物事をスタートさせるには『赤の城』の52日間に合わせるようにします。

特に、初日に当たる『赤い竜・1』の日に。

その時々の流れや予定なども絡むので、限定はしませんが、なるべく早い目の日に行動するようにしています。

そうする事で、順調に進み、取り組みに余裕が出来ると思うからデス。

スタート時に勢い良く進んだ後、次のサイクルで慣れてきてよりスムーズにはかどり、その次の段階では周囲からの刺激も加わり新たな変化が生まれ、内容を深め、やがて熟成されて完成する。

四季の移り変わりのように。

このサイクルで始めると、不思議な事に、自分のしている事が自然とそのような流れに乗ってくるのデス。

さて、今は先日から『青の城』の52日間に突入しています。

260日の中でちょうど真ん中のこの時期は『変化』のエネルギー。

また『変化』?

と思われる方もいらっしゃるでしょう。

はい、また変化デス。

しかしながら、今回話題に上げているエネルギーはもっと広く深い意味での変化デス。

更にこの時期は始めと終わりに黒キンが10日間づつ集中する特異的な時期でもあります。

『変化』には様々な行為があるでしょう。

寝かせる・削る・振り返る・加える・やり直す。

変化は時に痛みを伴う事もあるでしょう。

が、それらはより良い収穫を得る為の大切なプロセス。

恐れず受け入れましょう。

こちらから手を広げて招き入れると、面白いもので、辛いと想像していた事もさほどではない事が多いのデスよ。

2011年4月1日金曜日

エイプリルフール

4月1日。

今日は『エイプリルフール』。

年に1度嘘をついても良いという日。

始まりはヨーロッパと言われています。

諸説ありますが、これも背景には『暦』が隠れているようデス。

16世紀、フランスの国王シャルル9世が、それまで使用していた復活祭のお祭りが終わった翌日を新年としていた暦を廃止し、西暦(当時はユリウス暦、現在のグレゴリオ暦の前進。1月1日が新年。)を導入した事がきっかけとされています。
それにより市民との確執が生まれ、反発した者は罰せられた事から、フランス市民は4月1日に「嘘の新年を祝おう!」と言って始まった市民の祭りに由来しているという説が有力デス。

嘘を言って盛り上がるなんて、日本人にはなかなかないセンス。

こう言うのを「エスプリ」というのでしょうか?

さて、みなさんは今日、どんな『嘘』をつかれましたか?

あまりにリアルで信じ込まれてしまった時は、アフターフォローを忘れずに。


ところで今日、フランスのサルコジ大統領から電話がありました。奥様との相性占いをしたいそうデス(*^。^*)

2011年3月25日金曜日

カウアク[青い嵐]は変容のエネルギー

マヤの人々は毎日20の神様がそれぞれの法則で入れ替わり、その日やその時期のエネルギーを司っていると考えていました。

現在、私達の多くが『マヤ暦』と呼んでいる『ツォルキン暦』はそれらのサイクルをカレンダーにしたものデス。

彼らは神官によって読まれた暦のメッセージを暮らしの中で、種まきや収穫、感謝の祈りを捧げる日などを決める為に利用してきました。

彼らの教えの中に『神様のご機嫌をとる』という言葉があります。

どういう事かというと、エネルギーの違う神がそれぞれ入れ替わりその日を支配しているので、雨の神が宿る時に種まきをしても仕方がない。風の神が宿る時に家を建てても仕方がないという教えデス。

日本の言葉にも「晴耕雨読」という熟語があります。

神の力に逆らわず、そのエネルギーを『恵み』と受け取って日々を豊に過ごす為に役立てていたのでした。

 それらは絶えず周期し、今も変わらず流れています。
今、変容のエネルギーを持つ『青い嵐』が巡って来ています。
震災以降、「何かを変えなくちゃいけない。」と思う人が増えてきているのではないかと思います。

変化の時。

何を変えたら良いのか?
今、変えるべきは私達の『考え』にあります。

地球は多くの変動を経て今の大地を形成しました。
地上に住む以上、天災はいつでも起こり得ります。
現在、この震災によって浮き彫りにされている『モノ不足』に大きなヒントがあります。
このまま、家電や通信機器などの電気製品や石油製品、車などに頼り切ってしまうと、また同じように大きな痛みを受ける事になるのデス。

物への依存は自然界への依存。

自然界とかけ離れた存在ではなく、もう一度そのサイクルの一つになる事。

それが今、私達への『変化』のメッセージなのデス。

2011年3月22日火曜日

マヤ暦のロングカウント

マヤ暦はマヤ文明で使われていたカレンダーデス。
その暦は1つではなく、いくつもの周期を重ね合わせて利用されていました。

始まりは紀元前3000年にさかのぼります。
そして最も長い周期が1872000日。約5000年。

マヤ文明を研究する多くの学者がその一番長いカレンダーの最後の日が2112年12月22日である事を支持しています。

現在、私達が日常で使用しているグレゴリオ暦でも、複数の周期を持ち合わせています。

日、週、月、年、世紀。

最も長い周期で100年。

マヤ文明ではこの約50倍のサイクルを最大周期として数えていたのデス。

つまりこの暦の終わりは単に時の単位の満期であり、それ以上ではないという事。

マヤ暦において、それ以前の文明の跡をたどる事は不可能デスが、地球上には25万年前にホモサピエンスが出現し、進化し、現在に至っています。

古代マヤ人は暦を5000年のサイクルで大きな区切りを付けていますが、それを使用していた彼らはそれよりもはるかに長いカウントが出来るように更に多くの単位をもっていました。

それは、決して人類や地球が滅びないという事を彼ら自身が予言している事を表しています。

今、世界は戦争の脅威から自然からの脅威へと移りつつあります。

不安の中から最悪なイメージを作り上げてしまう事もあるでしょう。
それが約5000年を周期とするカレンダーの終末を迎えるにあたり加速化してしまう事も否めません。

しかしながら、暦は終わりを迎えても、時の流れは変わりません。

大晦日を過ごし、正月に新しカレンダーを掛け替えるのと同じように、2112年の12月23日から新しい長期暦が始まるのデス。

現在、その日は2112年12月22日ではないと唱える人もいます。

私もその一人デス。

ただ、その日がいつかである事よりも、また新たな周期に向けて日々の生活を健やかに楽しく過ごしていく事が私達にとって最も大切な事なのではないかと思います。

見えぬ不安に怯え、今日をおろそかになさらないでください。

明日は今日の延長上にあります。

古の民は、夜、星を眺めながら暦を作り、未来を夢見ました。

私達も未来を夢見ましょう。


最後になりましたが、先の東日本大震災において多くの方が被害に遭われました事を心よりお見舞いとお悔やみを申し上げます。
一日も早い復興をお祈りいたします。

2011年1月22日土曜日

出会いと相性活用法

前回、大方の人には3人に1人の割合で相性の良い人がいるという話をしました。
つまり、殆どの人がモテモテなのデス。

「そんな事ないですよ!」

と言われてしまいそうデスが、そう思われている方は、どうしてその様にお考えなのでしょう?

美人やイケメンじゃなきゃ無理とか?

美人じゃなくても、イケメンじゃなくてもモテる方っていますよね?
お金持ちでも、家柄が良くなくても。

どうしてでしょう?

それは、心のシールドが張られていないからだと思います。

モテる為のアイテムや行動、考え方など、現代は恋人を作る為のhow toものが沢山あります。
恐らく、異性から見て好印象のものなのでしょう。

ただ、それは万人に当てはまるでしょうか?

巨乳が好きな男性がいれば、胸は二の次!美尻が好き!!と言う男性もいます。

頭がイイ男性を好きな人がいれば、勉強が出来なくてもマッチョな人がイイ!と言う女性もいます。

にも関わらず、メディアのマストアイテムに身を包み、「出来る◯◯」「モテる◯◯」に書かれたマニュアルの返答ばかりしてしまうと、あなたの心がそのモノ達に覆い隠されてしまうでしょう。

惹かれ合う人々は、まるで電波をキャッチしたようにお互い導かれます。

例えば、あなたの運命の人が目の前にいても、あなたの心にシールドがかかっていては、お相手はあなたを見つける事は出来ないでしょう。

身綺麗にする≠着飾る

過度なゴージャスメイクは妨害電波。

雑誌やテレビは良い情報を沢山提供してくれます。

その情報をどのように利用するかは私達次第。

上手に使って、心の電波をお相手のハートに届けましょう。

2011年1月17日月曜日

トキメキと相性

マヤ暦ではご自身と様々な関係を相性診断を通して見る事が出来ます。
その中で、『意識』に対して最も良いとされているのが

ドキドキ・ワクワクするアゲアゲの関係の『神秘キン』
空気のような感覚で、阿吽の呼吸の関係の『類似キン』
正反対故に喧嘩もするが、タッグを組むとお互いの個性を高める『反対キン』

以上の3通り。
これらはお互いに惹かれあう相性で、男女間にとどまらず、色々な関係の中で良いとされる発展的な相性デス。
例えば職場でこの相性の方達と組むと仕事がしやすくなったり、親友と呼び合う仲にはこのような関係の人が多かったり。

相性がイイ人とは心をオープンにしていると、例え初対面の人であってもすぐに惹かれあいます。
ときめくお相手は自ずと良い相性と言っても過言ではないでしょう。
となると、こんな質問をされそうデスね。

「じゃあ、どうして片思いになっちゃうの?」

それはお相手にとって『良い相性』の方が他にもいるからデス。
だからと言って残念に思う事はありません。
あなたにとっても他に良い相性の方は沢山いるのデス。
マヤ暦で良いとされる相性を総合すると、殆どの方には約3人に1人の割合で良い相性の方がいらっしゃいます。
「毎日会社と家の往復だけ。」と言う人も、3人以上とはすれ違っている筈ですから、その何気ない時間に出会ってるんデス、相性の良い人と。
毎日、可能性は発生しているんデスよ。

2011年1月14日金曜日

色々なサイクル

寒中お見舞い申し上げます。
この冬は全国的にいつもの年より寒いようですが、みなさんはお変わりなくお過ごしですか?

私は風邪で、4日間寝込んでいました。
インフルエンザか?と思わせる位悪質の風邪で、意識朦朧としながら5年前にインフルエンザで寝込んだ時の事を思い出しました。

それはちょうど1月。同じ時期デス。
調べてみるとやはり同じ『白い魔法使い』の13日間でした。
この時期は私にとって見ると『反対キン』という挑戦の時期。
そして、マヤ暦で占う『無意識』のエネルギー『青い手』の1年間の時でありました。
これは不思議な巡り合わせデス。
その1年、私は体調を崩す事が多く、ケアも含めて病院やマッサージに通う事が多い頃でした。
『青い手』というエネルギーは『癒し』のパワーを持ちます。それまで体を酷使していた場合、病状として表れ治療を余儀なくされる事が増える時でもあります。
まさにそんな年でした。
それが、試練の期間に集中したのデス。
そしてなんと、今年もその『青い手』の1年なのデス。

『無意識』のエネルギーは誕生日ごとに入れ替わります。これは52年のラウンドで13年区切り、5年サイクルで巡って来ます。
やはり、去年の中ごろから体調を崩す事が多く、ボディケアが欠かせませんでした。
挑戦の時期は、体力も低下しがち。寝込む程になったのは無理もありません。

さて、このように時期によって様々な出来事が起こる事は先日も述べましたが、それらは様々なサイクルを経てまた同じように巡って来ます。
今回の件は日常の些細な出来事デスが、行動の内容によって出来ごとの大きさも重大さも変わって来ます。
同じ事を繰り返したという事は、教訓が生かせてないという事デスから、反省しなければなりません。
『青い手』にとって『白い魔法使い』は神秘キン。
そのお陰か、大事に至らず今は気持も体もすっかり元気でおります。
有り難い事デス。


5年後にはまた同じサイクルが巡って来ます。
次はこんな事にはならないよう心がけるつもりデス。


冬はこれからが本番。
どなた様もお体にはくれぐれもお気を付けください。

2011年1月5日水曜日

ウエディングラッシュとマヤ暦活用法

古代文明で利用されていたマヤ暦は、現代においてもその利用価値は十分にあります。

ツイッターにて「今日は○○の何日目」とつぶやいているのは、その日のエネルギーを知ってもらい活用してもらう為デス。
ツォルキンの260日のサイクルは過去から未来まで、途切れる事無く永遠に続いているのデス。

以前、20の神様は毎日入れ替わり、その日のエネルギーを司ると申しました。
が、更に別のサイクルでエネルギーを及ぼしています。

260日間で1度13日間続くそれを現代は『潜在意識』とか『ウェブスペル』と呼んでいます。

それに対して20日のサイクルのエネルギーは『顕在意識』や『太陽の紋章』と呼ばれています。

どちらも同じ神々の影響を受けているのデスが、『顕在意識』は見た目に表れやすく、『潜在意識』はそれを支える下層階のエネルギーとして影響してます。
植物に例えると、『顕在意識』は木の上部や花。『潜在意識』は根の部分にあたると言えるでしょう。

基本的にはこれらが対となり、その日を司り、生まれて来る子供に宿るというわけデス。


それでは、今はどんなエネルギーに影響されているかと申しますと、

『赤い竜』

と言う誕生の力を持った紋章の13日間にあります。

先月の25日から始まりました。

このエネルギーは誕生の他に、始動、母性のエネルギーを持ちます。

このエネルギーが巡って来ると、物事のスタート、人の面倒をみる、何かを生み出すなどの事態にふさわしく、おのずとこのような行動を執る人も多いデス。

結婚もしかり。

この年末年始、ハッピーなニュースが多かったのもうなずけるというわけデス。

この時期に結婚や何かをスタートさせた方は、良い流れを掴んでいる方達ではないでしょうか?

『赤い竜』の期間は明日まで。

何らかの決意をされている方は、明日までに始めると良いと思いますよ。

2011年1月4日火曜日

2011 新年!

2011年が始まりましたね。
正月はみなさん、いかがお過ごしになられたでしょうか?

昨年は近年まれに見ず、暑く激動の1年でした。
今年はいかな年になるのか?

年頭から悪天候で大変な影響を受けている地域のニュース等をみると、
今年も激動なのか?と思ってしまいますが、被害にあった地域の早い復旧と今年は平穏な1年になる事を祈るばかりデス。

さて、お正月について少々。
ご存知の方も多いと思いますが、マヤでは正月は違う時期にあります。
と言うよりも、多くのカレンダーを利用していた彼らにとっては、私たちが『1年』とくくっている期間にいくつもの正月を迎えているというわけデス。

因みに農耕用のカレンダーの正月は2月22日。
ツォルキンの始まりは7月26日と言われています。

日本でも依然使われていた旧暦の正月は1月から2月の末。
現在も中国などアジアで広く使われています。
マヤのカレンダーと重なりあう事もあるのが、古の暦に更に神秘性を感じさせます。

世界にはいろんな時期にお正月があるのデスね。

ところで、今のカレンダーは何故この時期に正月を迎えるのでしょう?
キリスト教の普及により、グレゴリオ暦は世界各地で利用されるようになりました。
グレゴリオ暦のルーツはどうやら古代エジプトまでさかのぼるようデス。

オシリスと呼ばれる光の神の印がオリオン座でした。
オシリスは弟にその命を奪われる前までは生産の神、植物の神でした。
亡き後、妻であり妹のイシスの働きにより、冥界の神となり冬の夜空の輝く星となりました。
ナイルの民は真夜中にオシリス(オリオン座)が昇る時期を正月とし、その年の豊穣を願ったと言われています。

今年も年頭に豊穣や繁盛などを願った方もいらっしゃるでしょう。
今も昔も変わらない思いがあるんデスね。

みなさんにとって沢山の幸運が訪れる年になりますように。